児童期になすべきこと

児童期におけるしつけの第一は善悪のけじめをしっかりとつけさせることです。
 
何故なら、子どもは小学校に入ると自我にめざめ、同時に自律の時代に入り、善悪の判断も自分出考えられる年齢になるからです。
 
善悪良否の判断を身につけさせるためには、自主性、耐性、社会性が育てられていなければ効果を上げることはできません。
耐性のない子は、悪いと解かっていても、自分のものではないと思っても、人の物を盗ったり、人に迷惑をかけたりします。
社会性が身についていると、やりたくなくても自分がしないと人に迷惑をかけるということで、自分の行動を律することができるのです。
自主性がないと何でも人に依存して自分のなすべきこともしない無責任な子どもになってしまいます。
 
第二は、全てのものの生命を大切にすることを教えることである。このことは抽象的でむずかしいことであるので、具体的な事象を通して教えなければ小学生は理解することはできません。  
自分の物を大切にすることは当然であるが、他人の物を自分の物以上に大切にするという心を通して、公徳心を育て、公の物を大切にする心を育て、物の生命を大切にするという具体的なものを通して命の大切さを教えていくことが重要です。
 
しかし日本ではこの公徳心は育てられず、公園や駅前広場は、朝早く行くとごみの中を歩かなければならないようなことがあります。
また、群集心理で「皆でやれば恐くない」ということでしてはいけないことの規範がぼけてしまい、今日に至っています。
 
子ども力壊いことをした場合でも「人が見ているからよしなさい」とか「見つかったら叱られるわよ」などと言って子どもの行動を規制している親もいます。
 
第三はルールを守らせることである。私達が快適な社会生活をしていくためには、種々のルールがあります。決められたルールを守ることにより、社会がよりよく運営されていき、家庭の中でルールを守る態度を養わないと、学校、社会にでても、それぞれの規則があるので、この態度が養われていない子どもの中には、その規則に押しつぶされて不登校を起こす子どもも出てきます。
過保護に育てられ、気まま勝手にわがままを通してきた子どもは学校の決まりを守ることが耐えられず、家庭に逃避するのだと思います。
 
第四に、人に迷惑をかけないように徹底した指導をするということを忘れてはならないことです。
人に迷惑をかけないようにするということは、適応性を育てる上で基本的な目安となるものですが、幼児期においては、何が迷惑なのかわからないので、親の価値観が子どもの行動の決め手となります。小学生になると、自分で考えられるようになるので、人に迷惑をかけることはしないということを徹底して身につけさせることが最も大切なことです。
 
第五には、自分のできることで他者へ奉仕する心を育てることです。人間は生まれながらにして、他の人のために尽くしたいという本能を持って生まれてきているということは既に述べたが、小学校高学年になると、子どもの心の中に、愛他の精神が育つようになるので、この時を生かして、他の人に対して自分のできることで奉仕をさせようとすると、その中で子どもは与えることの喜びを感じ、より高い次元で相手の立場にたって、ものごとを考えることのできる子どもに成長します。
 
第六は、我慢する心を育てることです。物質的に豊かになり、子ども達は、日常生活の中で欲しいものは何でも与えられるという生活に慣らされているので、欲求不満に耐える力をもっていないのです。
従って、悪いとは解かっていても人の物を盗ってしまう子どもが多くなりました。
我慢する心を育てられない子どもは、思春期になっても、性の問題のときに乗り越えることができないで、問題や事故を起こす結果となってしまいます。
 
しかし、貧しい時代の我慢のさせ方と、今日のように物の豊富な時代の我慢のさせ方はことなります。
物があるときには皆が持っているものを我が子だけ我慢させるということもりますが、他との調和ということも考えて「時を稼ぐ」というのが適切な方法だと思います。
我慢するということは、子どもにとっては大変なことなので、その時の状況に応じて一日とか一週間待たせるとか、あるいは誕生日までとか、ケースバイケースで行なうことにより、親も子も我慢する心を育てる訓練をすることができます。
 
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