母親の役割、父親の役割

日本では明治5年に学校令が発布され、学校教育が制度化されてから100年以上が経過していますが、その中で今日ほど教育に対する親の意識の高い時代はないでしょう。そのために義務教育だけで終わる人は殆どなく、高校入学率も九十数パーセントに達しています。本来ならば、親の教育に対する意識が高く、子どもに教育を施せば施すほど、もっと優秀な子ども達が育つはずだと思います。しかし、現在ではかえって、親の意識が低かった時代にはなかったような子どもに関する問題が続出しています。この現象を見過ごすことはできません。
 
教育というのはやれば良いというものではなく、そのやり方を間違えると、かえってやらなかったときよりも、いろいろの問題を起してしまいます。現在の青少年問題は教育の誤りから起こってきた歪みであるといえないでしょうか。
 
青少年の健全育成は国や社会の責任はもちろんですが、特に親の子どもへの対応こそ重要であるように思えます。
 
人間の場合は、子を産むだけでは親の役割を果すことはできません。無責任な親の代名詞として「産みっぱなし」という言葉がありますが、動物は生まれたときから、殆ど歩くことができるし、目もみえるし、完成に近い状態で生まれてきます。
これに反し、人間の子どもは一番未熟な状態で生まれて来るといわれています。したがって人間の子どもは親の保護、養育がなければ生きていくことができません。生理的には勿論のことでありますが、社会的な存在としても成人するまでに二十年の長い年月を必要とします。保護が喪失したり、薄かったりすると肉体的な生命の維持が困難になるばかりか、精神的な情緒の安定と発達をゆがめ人格形成に悪い影響をあたえます。
子どもを育てるという点は、他の動物にも見られないわけではないけど、これらの動物は子育てを本能として営まれますが、人間の子育ては本能で育てるばかりでなく、理知的な親の自覚によってなされていると思います。本能で子を育てるのであるならば、我が子を虐待して傷つけたり、殺したりするような悲惨な事件は起きないはずではないでしょか?
幼児期では特に母親による保護養育の役割が前面に押し出されてきます。その人の人格形成は幼児期の母子関係で決まると思います。最も大切なものがスキンシップです。
 
母子分離が早過ぎると、早い時期から異性への関心が強くなり、異性との性的関係が早く生じ、問題行動を起こす子が多くみられているといいます。子どもの情緒の発達と安定にとって母子間の情緒的な温かいぬくもりのある関係こそ大切なのです。
 
子育ては夫婦の共同体の任務であるから父親も育児に参加することは大切なことですが、この時期の父親は、母親のように直接子どもに触れて養育の任務にあたるというよりも、母と子が順調に正しい方向に進み、育児の道に迷わないよう、育児に疲れた母親の心身の疲れを癒し、また、育児に希望が持てるよう、母と子に、明るいひかりを与えることが大切な役割だとおもいます。